受験生の母は何をすればよいのか
おゆみ野に初雪が降った。娘は受験に出かけた。なんとなく落ち着かない。要は暇なんでしょうといわれそうだが、やることは沢山あるのに、手につかないといった方がいいかもしれない。こんな時、私の母だったら祈り続けるだろう。よく、ろうそくが融けてこぶができると「よろこぶ」といって縁起がいいんだよと言って、私や姉が受験している間中祈っていた。ところが、私はろうそくが融け始める前に、祈るのをやめてしまった。母がある意味で狂信的だったのでその反動だと思う。あるいは、「娘が問題を解けること」と「私が祈る事」の間にやはり関係性はないのでは思ってしまうからかもしれない。
私が浪人して大学を再受験する時、母は「方違えをしなくてはならな
い」と言い出した。下宿から受験する大学の方角が悪いらしい。そこで、母は 東京の地図を広げ、幸先のよいらしい方角に印をつけて探しにでかけた。ところが、どうもその方角で泊まれそうなところはラブホテルしかなかった。「仕方がないから、ラブホテルに泊まろう」と言うのである。さすがに私は抵抗した。「なんで受験生の私が母とラブホテルに泊まんなきゃいけないのよ」。
母はスゴスゴもう一度、高円寺の下宿を後にし慣れない東京の街に出て行った。そして見つけてきたのだ。あるガソリンスタンドに来ていたお客さんが、母を可哀想に思い、1軒の下宿屋さんを紹介してくれたのである。3月だからか、たまたま1部屋空いていて貸してくれた。そこは女人禁制の下宿だったが、2晩だけならということで許してもらった。そのおかげかどうか無事合格した。「方違えなんて平安時代じゃあるまいにばっかじゃないの」と思いながら、どこか母を信じていたのかもしれない。大学の裏門のすぐ側にあるその下宿屋さんには、入学してからもしばしば遊びに行った。おじさんとおばさんには娘みたいに可愛がってもらった。
次に母が「方違え」を言い出したのは、私の就職が決まって一人でニューヨークに遊びに行くことになった時である。この時も、先輩に頼んで出発の前日に1晩部屋を貸してもらった。男臭い寝袋を借りて寝ながら「何でこんなことやってのかな」と思った。
ところが、帰国する直前、現地の新聞を見ると一面トップに「SHOT DOWN」の文字が踊っていた。何のことかと思ったら、私が乗る1便前の大韓航空007便が、サハリン沖で、ソ連のミサイルによって撃墜されていたのだ。昭和58年9月1日のことである。当時KALのニューヨーク⇒アンカレッジ⇒ソウル⇒成田のコースは週に2便しかなく、私はどっちでもよかった。もしも、たまたまそっちに乗っていたら・・・今はいないだろう。私の乗った便にはmemorial familyの座席が用意されており、泣きながら搭乗していた遺族の姿を覚えている。
それ以後、「方違え」って意外に効くかもと思ったのは事実だ。どうも世の中うまく行かないという方がいたら、方角が悪いのかもしれない。「方違え」を試しにやってみてはいかが。
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