人生

生き方を教えてくれる老人3人

Dsc01643    今日ははるのみち公園でさくらさくさくウォークラリーのお手伝いをした。Kさんに会ったら「ブログ更新されてないよ。楽しみにしているのに」と言ってもらった。うれしかった。誰かがこれを読んでくれて少しでも面白いと思ってくれるなら、やりがいもあるというものだ。

 今日の桜はまだ七,八分咲き。これから満開を迎えて散っていくのだろう。桜の花は一つひとつもきれいだが、木全体、道全体、山全体として見てもきれいだ。そしてはなかい。美しさとはかなさの二つをもっていることが日本人の心情にぴったりくるのだろうと、先日、主人と話をした。定年を迎えた彼にとって、今年の桜はまた特別かもしれない。

今日は最近出会った老人3人の話をしよう。

 一人めは中卒の老人だ。娘のバイト先のラーメン屋で働いている。娘がバイトを辞めたので、はじめて食べにいった。社長に会い、一言お礼を言ったのだが、お礼を言うべきは社長ではなく、このHさんという老人だったのではないかと思う。娘が辞める時、「なにがあったかしらないけど、もったいないね。でも一生懸命働いてくれてありがとう」と言ってくれたという。娘曰く、「みんなは社長の前では一生懸命働くけど、いなくなると適当。でも、Hさんだけは、私が仕事に追われている時、自分の仕事を置いてまで手伝ってくれた。一番優しい人。人の気持のわかる人」という。60歳もはるかに過ぎているだろうに、家族がいるのかいないのか。立ち続けのラーメン屋の仕事は大変だろうに、「本当にありがとうございました」と伝えたい。

 二人めは、工事現場であった72歳の老人だ。たまたま、娘がトイレに行きたいというので、工事中の稲毛区役所の駐車場に間違えて入ってしまった。「娘がトイレに行きたい」というと、しばらく停車するのを許してくれた。。しかし、待つのは工事脇の歩道だという。狭い道なので私としては工事現場の中でターンしたかった。ちょうどダンプのお兄さんも「こっちまで来て周りなよ」と車を移動させてくれた。ところが、くだんの老人は絶対に許さない。歩道にうまくバックで入れるようにと、誘導する。優しいけど、自分の仕事には厳しい人だと感心した。その彼が、私の所へ来て、「娘さん顔色悪いね。お母さんもあれこれ要求しないで、食べて寝て、元気が一番だよ。私なんか72歳だけどこんなに元気だよ」と言った。確かに50代といってもいいくらいだった。「おじさんに会えて今日はよかった」と言ってお別れした。

 三人めは、近所のおばあちゃまだ。民生委員の仕事で、お風呂券が欲しいかどうかを聞きにいった。玄関のベルを鳴らしても応答がないので、裏に回ったら、庭のお花の手入れをされていた。「きれいですね」と声をかけたら、「よかったらこの花をお持ちなさい」といって、チューリップと色とりどりのフリージアを下さった。ぷーんと匂う甘い香り。この匂いを嗅ぎながら、「私はどんな老人になりたいだろうか」と自問した。ほんの少しでもだれかの役にたつこと、それが生きていく糧になる。そんなことを若いころは考えもしなかったと思った。

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読書会*アン・モロウ・リンドバーグ「海からの贈り物」(その1)

「最近のあなたのブログは暗くてコメントしようがない」とMさんに言われて「確かに」と思った。飛び込み自殺だったり、モンテスキューだったり・・。何故なのかと自分に問うてみた。そうしてようやく自分が「老い」に対して恐怖を抱いていることがわかった。子供や仕事もいろいろあるけれども、突き詰めると「この先老いていって私はどうなるんだろう」という不安が私を閉塞感に陥らせているのだと思う。

そして、悶々としているうちによい文章に出会った。至極単純なのだが、これで生きられるかもと思ったくらいだ。それは、森内俊雄さんが「あけぼの」というカトリック系の雑誌に書かれた「われらがサンチャゴを生きる」という文章だった。

「時は過ぎさるもの、とばかり思っていた。・・・しかし、それは時の一面であって、時のすべて、本質ではない。およそ、時は過ぎさるものではない。時はみのり、実現し、成就する。そして、そのように時が実感される、たったのいま、それは常に現在として、結実している。すべてが新しく、すべては美しい。このように、時にたいしての考えが、あらたまり、生きてきはじめたとき、どうやら私は老年期にはいったようである」。

サンチャゴとは、ヘミングウェイの「老人と海」の主人公である。大海原で強大なカジキマグロと闘い、港に帰るころにはみんな食われて骨だけになってしまうという話だ。

「わたしは、たとえ敗れるにしても、まこと、彼のように生きとおしたい。そう念願しながら、この象徴的な格闘のドラマを読んでいる」と森内さんは書いている。

これだと思った私は、次回の読書会は、「海からの贈り物」をやめて「老人と海」にしようと思った。そしてさっそく読んでみた。読んだついでにヘミングウェイの略歴を見てショックを受けた。彼は60歳で拳銃で自殺していた。「書いてることとやってることが違うじゃないか」というのが私の感想である。やっぱり、読書会は94歳まで生きたアン・モロウ・リンドバーグの「海からの贈り物」にしようと思ったのである。

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糖尿病は恐ろしい

「いてくれてよかったわ!!」と汗だくになりながらきてくれたセールスのおばちゃんと久しぶりに会った。この炎天下ずっと歩いてきたという。「元気だった?」と話すうち、糖尿病で入院中だったご主人が春に亡くなったことを知らされた。膝下で両足を切断したけれど、さらに悪化したので膝上まで再切断したという。けれど、そこから炎症がひどくなり、さらにもう一度切断する予定だった。手術待ちの間に眠るように逝ってしまった。61歳だった。糖尿病がそんなに恐ろしい病気とは知らなかったので、初めて聞いた時はびっくりした。

 ハリーポッターの最後の物語「ハリーポッターと死の秘宝」をごろごろねながら読んでいたせいもあるが、彼女に会うとしゃきっとしなきゃといつも思う。明るくて、一生懸命働いて、朝晩はご主人を見舞った。「約束の時間に遅れるといつも主人の機嫌が悪いの」といっていたが、ご主人もさぞかし側にいてほしかっただろう。

 このところ、死に直面する。この夏の暑さのせいで、体の弱った老人は夏を越せるのか心配だ。私の近所でも一人暮らしの老人が亡くなった。一人暮らしの老人のマップというものを民生委員で作成しているが、それは災害の時のためである。今回は事情が違う。2日ほど姿が見えないので心配して、隣人たちがインターフォンや窓をたたいたが、応答がない。夜になって警察もやってきたが、家族の連絡先がわからず、手も足も出ない状況だった。もし、今助け出せれば間に合うかもしれないのに・・と思うが、法律では許されていない。結局、次の日の朝、家族の方と連絡をとって窓を破って入ったところ、亡くなっていたというわけだ。災害よりも日常生活での方がもっと緊急を要するともいえる。孤独死が高齢化社会、核家族化の中で増えていくと思うが、その対策は地縁をどう回復するのかと対になっていて難しい。

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