「海からの贈り物(アン・モロウ・リンドバーグ)」を読んで
アラフィフティにお勧め「あるべき自分」を探す指標に
「海からの贈り物」(1955年、アン・モロウ・リンドバーグ)
この本は、大西洋単独横断飛行に成功したリンドバーグ大佐の夫人、アン・モロウ・リンドバーグが49歳の時に書いた本である。
アンは、1906年にアメリカで生まれた。国会議員だった父親が、メキシコ大使を務めている時に、4歳上の夫チャールズがメキシコに飛来して出会い、23歳で結婚する。2年後、アンは身重にもかかわらず、チャールズとともに東洋の旅に出かけ、のちにその記録を「翼よ、北に」(02年、みすず書房)にまとめた。
その本の最終章で、「さよなら」が「そうであるなら」という意味だと知り、「これほど美しい別れの言葉を私は知らない」と書いたのは有名だ。常に死と隣り合わせの危険な旅を、チャールズは彼女に強い、彼女もまた果敢に受けてたった。しかし、アンは、帰国した空港から病院に直行せねばならないほど、危険な状態だった。長男リンディ2世はこうして生まれた。
ところが、この長男は2歳になる前に誘拐され、殺害された。ドイツ人が逮捕され、4年後の36年に死刑にされた。しかし、ドイツ人の妻は夫の冤罪を訴え続けた。チャールズの死後ではあったが、「誰がリンドバーグの息子を殺したか」(95年、文芸春秋)、「リンドバーグ世紀の犯罪」(96年、朝日新聞社)などが相次ぎ出版され、ドイツ人の冤罪が疑われた。出廷するアンの写真を、前者の本の口絵で初めて見た時、不安げで、とても犯人に対する怒りを露わにしているようにはみえないのが私も気になった。
後者では、リンドバーグこそが実は犯人であり、妻を驚かせようと息子を抱いて2階から縄梯子で下りようとして、誤って息子を落として死なせたという仮説を立てている。そう思わせる挙動が、チャールズにあったのも事実だ。アンは、悲しみを忘れるために、32年に次男を生み、その後も3男、長女、次女と計4人を生んだ。次女のリーヴは、94歳で亡くなるアンの介護と思い出を綴った本「母からの贈り物(03年、青土社)を出している。
次女からみた父親はどんな男だったのか?本の中に次女の18歳の回顧シーンがある。父親の自伝の中に彼が好んで使った「つきぬける」という言葉を見つけて、批判するくだりである。「なんて男っぽいの。なんて男根的なの。しかもそれに気づいてもいない・・」。
男性優位主義は、当時としては当たり前だったのだろう。夫よりも高い教育を受け、知性も優れていたアンを、夫はどう思っていたのだろう?読書会後、メンバーから「彼らは仮面夫婦だった。チャールズにはドイツ人の愛人がいたらしい」との情報が寄せられた。彼は出来すぎた妻に疲れたのだろうか?
どんな運命も受け止め、立ち向かう
「海からの贈り物」の「日の出貝」の章には、「もう一度二人の純粋な関係を取り戻すにはそれと同じ状況を作り出すこと・・・どこかの宿屋の一晩だけでも二人だけで過ごすというのはなんといいものだろう」とある。これはアンの夫への呼びかけだ。どんな運命や状況に対しても真正面から真摯にそれに立ち向かう。それが彼女の生き方だ。
チャールズは冤罪で疑われ、殺人事件直後にヨーロッパに移住しナチと親しくしたことでも批判された。しかし、それらはすべて葬りさられ、飛行家としての栄光だけが残った。それは、ひとえにアンの健気さのおかげではないかと私は思う。
「一人になること、それが、自分の軸を取り戻すために必要なことだ」と言い続けていたアン。晩年、認知症気味だった彼女は自分の本を読んでもらって、「一人だと寂しくないの?」と感想を述べたという。彼女はきっとこの本を書くことで「あるべき自分」に近づこうとしていたのだろう。
この本を読んで、地位や名誉や富を手に入れた後でも、人間は同じような悩みをもつものだと思った。これは国や時代を超えている。77版という数字がその証拠だ。私は50代前後の女性にこの本を勧めたい。残された時間と能力の中でどう生きるか?それは自分の頭で考え、探していくしかないのだと思う。(M)
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