« 2011年7月 | トップページ | 2011年10月 »

2011年8月

真っ青な空の下で

小中学校の夏休み明けの初日だった。久々にみんなの(*^_^*)を見たくて歩いた。台風が近づいているせいか、今日は雲ひとつない真っ青な空だった。中学校は明日から1学期の期末試験。夏休み明け早々に試験だなんて、夏休み中、ずっと気を抜くなということなのだろうか。私立や県立の高校ではまだ3学期制のところもある。3学期制なら夏休みは休暇という感じがするが、なんだか2学期制は中途半端だ。ラジオを聞いていたら、アメリカでは休みに宿題はまったくないと言っていた。思いっきり勉強して、思いっきり遊ぶ方がメリハリがあっていいと思うのだが、解せない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

富士山でみた光景

010015029
025_3


出発して45分くらい。朝の山中湖。暑くもなく寒くもなく、いい感じで登山はスタートした。

6合目の富士山安全指導センターを上から見る。右手からの下山道と合流する。ここから、つづら折りが始まる。

7合目花小屋から下を見る。今回驚いたことは、こんな軽装で生足、サンダル履きの外人娘を見かけたことだ。こんな感じで9合目の鳥居を過ぎたあたりにもいたのだ。富士山をなめたらあかんぞえ!と言いたくなった。花小屋から上を見るといよいよ富士登山らしい岩場の急斜面だった。

そもそもなんで富士山に登りたいのか?幼稚園生でも登っているのに、登れないのは悔しいから。登れたら、新しい人生が開かれそうだから。雄大な自然と出逢えるからなどなど。でも今回登っている間は、雲の中に入ったり出たりで、絶景には恵まれなかったが、登る環境としては悪くなかった。
201107300957000_2

登山中、景色に気を取られることがなかったので、なんでこんなことやってんだろう?という疑問がわいてきた。登山は今日一日という生き方に似ていると思う。昨日までの過去を捨て去り、明日からにもとらわれない。今日一日を生きる。つづら折りの端まで、あるいはあの角の岩場まで、ただそこまでいくことだけを考える。他人にどんどん追い越されても比較しない。自分のペースで進む。進むこともやめることも自分の意思で決める。余裕があれば他人の心配もできるだろうが、自分の世話で精一杯なのだから。確かエベレストのような山に登る人たちは、置き去りにされても覚悟はできていると聞いた。

201107301142000_1201107301229000

043頂上は意外にも暑かった。しかし、カルデラには万年雪が残っていた。300年以上も前の1707年以来噴火はしていないというが、地下ではマグマがどろどろと動いているのだろうと思うと、3月の東日本大震災の津波のあの勢いを思い起こしてしまう。黒い溶岩の流れ出た跡をみて大地も生きていると感じた。そういえば、登山中に大地讃頌を歌っている若者たちがいたが、気持ちはわかる。

もう登りは嫌だったが、最後だと思い剣が峰まで登っていった。旧測候所がある場所だ。技術者たちは機材をもってここまで登り、観測を続けたのかと思うと尊敬する。

お鉢巡り中、半そでTシャツに短パン。なぜか足袋のいでたちで軽快に走って行く人たちも見かけた。マラソン感覚で富士登山を楽しめる人たちなのだろう。なぜかきゅうりを食べていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

リベンジ富士山登頂に成功!

038  思い起こせば2年前、小学5年生の娘を連れて、徹夜の登頂を目指し真夜中に5合目を出発するも、雨と風に阻まれて7合目まで到達することもできず、撤退した富士登山だった。

前回の失敗を教訓に、山小屋に一泊し、頂上でご来光を拝むコースに挑戦した。

まずは、マイカー規制に引っかからない7月29日の8時にスバルライン5合目手前の駐車場に乗り入れ、そこから無料のシャトルバスで5合目の登山口に。ここで約1時間ほど2305mの高度に体を慣らし、9時に吉田口を出発。休憩を挟みながら9時40分には6合目の安全指導センターに到着。そこから、雲の中に入ったり、いきなり晴れたりの中を進み、かつて撤退を強いられたつづら折りをなんとか乗り越えて11時15分に7合目の花小屋(2700m)に到着。一般に60分で行くところを、95分かかってたどり着いた。

 実はここからが本当の富士登山といわれるくらい、急傾斜の岩場が現れる。しかし、今夜の宿は同じ7合目の東洋館(3000m、1泊8500円/人)。気の大きくなった夫は、先に頂上までいっておりてから泊ろうかなどと言いだした。ところが、岩場を登りはじめて、次なる日の出館を過ぎたころから寒くなり、ジャケットを着たり、バナナを食べたりしながら、頻繁に休憩し、東洋館に着いたのは12時55分。約90分で300m登ったことになる。頂上を目指す話はどこへやら、さっそくチェックインし、16時半の夕食までひと眠り。「頂上でご来光を狙うなら遅くとも午前0時には出発してください。ツアー客で登山道が渋滞しますから」と宿の人に言われ、23時の出発を目指す。東洋館は高度で言えば、ちょうど5合目と頂上の中間地点にあたる。

 どこでも眠れる私だが、起きてみたら頭ががんがんしている。ガイドが「眠ってよくなる人、悪くなる人がいますから、気をつけてください」と言うのを聞いて嫌な予感が。宿の人に聞いたら、「高山病かもしれませんね。できるだけ深呼吸してください」と言われ、「高山病は下りるしか治らないんですよね」と言われた。とにかく出発までの1時間、ヨガをやったりコーヒーを飲んだりして様子をみた。いつもは砂糖なしだが、気まぐれに砂糖を入れて飲んでみたら、なんだかよくなったみたい。どうやら血糖値が下がっていたようだ。ほっとして、23時30分に東洋館を出発。ここまでは一応予定通りだった。

 ところが、この後、真っ暗闇の中、ぞろぞろとツアー客にまぎれて登り始めたが、夫が10分登っては一休みを繰り返す。ついに各山小屋に着くたびにベンチでひと眠りを始めた。どうやら、高山病気味なうえに東洋館のとなりの布団に陣取った夫婦のいびきがうるさくて一睡もできなかったらしい。確かに山小屋の寝床は布団1枚に二人で雑魚寝。夫婦でもなければちょっと難しい設定だ。でも、夫も少しはいびきをかいて寝てたよなと思ったが、このままでは凍死しちゃうかもと思い、本八合目の富士山ホテル(3400m)に仮眠(3000円/人)のため、3時半にチェックイン。後1時間でご来光だったのだが・・・。400m登るのに3時間かかった。

 ご来光は4時半だったが、宿の人が「天気が悪くご来光は見られませんので、眠りたい方はそのままお休みください」とのことで、8時まで休息した。8時10分にホテルを出発した。七合目から八合目は本八合目だの八号五尺だの距離も長く、傾斜も急できつい。胸突き八丁とはこのあたりのことなのか。八合五芍から九合目、山頂と傾斜はますます急になってくる。9合目(3600m)の鳥居に着いたのは9時40分。頂上(3776m)に着いたのは11時5分。ガイドブックでは本8合目から約80分とあるが、175分もかかってしまった。ともあれ、頂上の鳥居で写メを撮り、アメリカにホームステイ中の三女の誕生日でもあったのでお祝いをいうために送信した。ついでに自宅にいる姉たちにも送ったが、「こんなにお父さん年とってしまっていたのね」と話していたらしい。何度も「もうやめる?自分で判断してよね」と言い続け、そのたびに「休めばなんとかなる」と答え続けていたのだから、無理もない。しかし、マイペースで、わざわざ蛇行しながら高度に慣れるよう努力していたのはある意味偉い!

 頂上で、ラーメンとカレーを食べ、もう二度と来られないかもしれないということで、お鉢巡りにトライした。富士山の本当の頂上は剣が峰(3776m)だ。もう1mmでも登るのはコリゴリだったが、巡りはじめたのだから仕方ない。ふーふー言いながら剣が峰までたどり着き、さらにそこの展望台に上った。ここが日本で一番高いところだろう。雲の上で下界はなにも見えなかった。

 さて、登ったはいいが、下りなくてはならない。剣が峰を出発したのは13時。下山道は延々くねくねのブルドーザー道だ。足の指の爪に負担がかかる。夫はカメのようにスローペースで、ついに足が痛いと言いだしたので、後ろ向きで歩くことに。手を引いてあげていたが、そのうち雨が降り出した。看板に5合目スバルライン駐車場まで180分という表示を見てぞっとする。人が180分なら、うちらは2倍じゃん!仕方がないので、私の杖を夫にあげて、私は薄いアルミ箔のようなシートを頭からかぶりさっさと一人で下山した。どうも一緒に歩くとお互いのペースが乱れてしまうのだ。

 5合目の吉田口から、スバルライン駐車場までの長いこと。雨にけぶって先も見えず、足元は泥だらけ。リュックカバーもスキーウエアも大した放水効果がない。前回ボツにしたデジカメとケータイが心配で仕方なかった。駐車場に着いたのは17時50分。下山に4時間50分かかった。ふぅー。夫はそれから1時間もしないうちに下りてきた。長い旅だったけど、登ることができてうれしかった。

登山前にブログで、「倦怠期の夫婦におすすめ」とあったが、別のブログでは、「ちなみに今の妻はこの時の人とは別な人」というのもあって笑えた。登山中に考えたのは、「なんでこんなことしてまで登るんだろう?」とか「人は結局一人で生まれて一人で死ぬんだな」ということだった。だけど、それじゃ寂しすぎる。自分はどんな距離で人と過ごすのがちょうどいいのかを考えるいいチャンスだったと思う。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

« 2011年7月 | トップページ | 2011年10月 »