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「村上春樹」を読んだ後、心がざわつくわけ

 読書会にレジメをつくってきましょうという人がいて、今度の「村上春樹」こそはつくっていこうと思っていたのに用意できなかった。書き始めると何時間もかかってしまうからだ。

 読書会のテーマは村上春樹の「蛍」だったが、私は「海辺のカフカ」に興味を覚えた。サスペンス仕立てで一気に読ませる手法はすごいと思うが、いつも読後に埋められない空虚な余韻が残る。それはなぜかと思い、内田樹という人の「村上春樹にご用心」を読んだ。その中に、「小説は意味を問うのではなく関係性こそが重要だ、と村上が言っている」と書かれていた。

 このせいだと納得した。「蛍」では、主人公の彼女の元の彼が自殺するが、ついぞ、その理由は不明のままだ。「海辺のカフカ」でいえば、そもそもの始まりである「なぜ4歳の息子を置いてお姉さんだけ連れてお母さんは出て行ったのか?」の納得のいく説明はないが、事態はいろいろに展開する。お父さんは息子に殺されることを望み、代わりに近所の精神障害の男に殺される。息子はいなくなったお母さんを探し、絵に描かれた15歳の母に恋しセックスを夢想する。その後、実際にも交わり、さらに想像上だが姉とも交わる。そこらじゅうにメタファーがちりばめられ、精神医学上では意味のある出来事が起こっているようだ。なぜ、こんなことになったのかと、息をこらして最後まで読み進んでも、結局、事のはじまりはわからないままだ。

 村上春樹が、文壇で孤立しているとは知らなかった。批評家たちや本をよく読む人たちからも敬遠されているようだ。それはかれの小説が、土地の固有性をもたないからだという説がある。固有性を持たないのに世界性がある、つまりどの国の人たちからも読まれているのが玄人から嫌われている理由らしい。

私は彼が世界性をもっているのは、あるいは一般大衆に受けるのは、小説の意味をかかないからだと思う。それを書くことが小説のリアリティには欠かせないが、それを書いてしまうと、読者が限定されるからだと思う。そこは自分の例にあてはめてくださいってことなのかな。ちなみに、内田さんによると、村上春樹の世界性は「父性の不在」(だったけ?)を描いているからだという。冬ソナとハルキスト(春樹スト)が重なるのもそのせいではないかと主張している。あんまり解読されると疲れてくるのでテキトーに。

内田氏曰く、「すべての評論は読ませるようにかくべきだ」。たとえつまらないと思っても。一番だめな評論は、あらすじをかいてしまって感想を述べるタイプといっていたので、以後気をつけようと思う。

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