すずき
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庭で草むしりをしていたら、芋虫?が歩いていた。ぎょぇと思ったが、一生懸命歩いているのでじゃまをしないように見ていた。すると、彼は背の高い草をわけながら進むのかと思いきや、わざわざ背の高いひょろひょろの雑草を登り、同じく背の高い雑草に乗り移ろうとして一時ブランコ状態になった。それを何度も繰り返した。私はとても不思議に思った。なぜなら、彼らは、アリのようにいつも食べるためだけに働いているのかと思っていたのに、これは明らかに遊びのように思えたからだ。こんな小さな生き物でも、楽しみながら運動してるのかなと妙に感動した。どこに行くのか知りたかったが、電話で呼び出されているうちに姿を消した。
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読書会にレジメをつくってきましょうという人がいて、今度の「村上春樹」こそはつくっていこうと思っていたのに用意できなかった。書き始めると何時間もかかってしまうからだ。
読書会のテーマは村上春樹の「蛍」だったが、私は「海辺のカフカ」に興味を覚えた。サスペンス仕立てで一気に読ませる手法はすごいと思うが、いつも読後に埋められない空虚な余韻が残る。それはなぜかと思い、内田樹という人の「村上春樹にご用心」を読んだ。その中に、「小説は意味を問うのではなく関係性こそが重要だ、と村上が言っている」と書かれていた。
このせいだと納得した。「蛍」では、主人公の彼女の元の彼が自殺するが、ついぞ、その理由は不明のままだ。「海辺のカフカ」でいえば、そもそもの始まりである「なぜ4歳の息子を置いてお姉さんだけ連れてお母さんは出て行ったのか?」の納得のいく説明はないが、事態はいろいろに展開する。お父さんは息子に殺されることを望み、代わりに近所の精神障害の男に殺される。息子はいなくなったお母さんを探し、絵に描かれた15歳の母に恋しセックスを夢想する。その後、実際にも交わり、さらに想像上だが姉とも交わる。そこらじゅうにメタファーがちりばめられ、精神医学上では意味のある出来事が起こっているようだ。なぜ、こんなことになったのかと、息をこらして最後まで読み進んでも、結局、事のはじまりはわからないままだ。
村上春樹が、文壇で孤立しているとは知らなかった。批評家たちや本をよく読む人たちからも敬遠されているようだ。それはかれの小説が、土地の固有性をもたないからだという説がある。固有性を持たないのに世界性がある、つまりどの国の人たちからも読まれているのが玄人から嫌われている理由らしい。
私は彼が世界性をもっているのは、あるいは一般大衆に受けるのは、小説の意味をかかないからだと思う。それを書くことが小説のリアリティには欠かせないが、それを書いてしまうと、読者が限定されるからだと思う。そこは自分の例にあてはめてくださいってことなのかな。ちなみに、内田さんによると、村上春樹の世界性は「父性の不在」(だったけ?)を描いているからだという。冬ソナとハルキスト(春樹スト)が重なるのもそのせいではないかと主張している。あんまり解読されると疲れてくるのでテキトーに。
内田氏曰く、「すべての評論は読ませるようにかくべきだ」。たとえつまらないと思っても。一番だめな評論は、あらすじをかいてしまって感想を述べるタイプといっていたので、以後気をつけようと思う。
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カルガモが7羽の赤ちゃんを連れて泳いでいるという話を聞いて、いそいで泉谷公園に行きました。残念ながら、その姿を見つけることはできませんでした。ちょうどホタル生態園の木村さんがいらして、昨年もカルガモが赤ちゃんを産んだけれども、フトバシガラスにまるごと食われてしまったらしいとのことでした。昨日までいたというカルガモのツガイと7羽の赤ちゃんを探したけれど、みつかりませんでした。カラスを避けて身を隠しているのかもしれません。Nさんが写真を撮っているので後で紹介します。
菖蒲は盛花を過ぎつつありますが、遠目にはとてもきれいです。先週の花をSさんが撮ってくれたので紹介します。
泉谷公園ではゲンジボタルが有名ですが、木村さんは、ヘイケボタルの池をつくりました。
ホタル三昧の公園にしたいようです。そろそろホタルの羽化の時期です。今年は何匹かえるでしょうか?
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