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2009年1月

秋の道の梅も咲きました

  秋の道の紅梅が咲いて、いい匂いがしています。白梅はこれからのようです。並んで咲いていても、花の開く時期は違うのですね。花は開け開けと言われなくても、自然にまかせて咲き始める。人間だけでしょうか、Dsc01592無理無理咲かせようとするのDsc01593_2は。今日は歩きながら、そんな話をしました。待つことが親には一番求められているのにあせってばかり・・・。いつ自分の親に切れたかという話で、「19歳だったわ」とか「私は23歳だった」と。親の言う通りにしていて先が見えなくなった時、「どうしてくれんのよ!!」と思ったら切れたとか。今の子供は中学や高校で切れている。時期が低年齢化しているのは、それだけ彼らへの押しつけが早まっているからだろう。

泉谷中も有吉中も再び窓ガラスが割られ、落書きされている。学校も対応に大わらわだ。夜中にバイクで遊歩道を走りまわる音がする。日枝神社の高台にある公園は見晴らしがいい。どちらから警察がきてもすぐわかる。逃げる姿を何度も見たとあいさつボランティアの仲間が言っていた。先週の土曜日の夜は雨だったのに、彼らにはエネルギーが溢れている。受験勉強で疲れ果てている娘と比べるに、どっちが自然なのかわからない。

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「海からの贈り物(アン・モロウ・リンドバーグ)」を読んで

アラフィフティにお勧め「あるべき自分」を探す指標に

「海からの贈り物」(1955年、アン・モロウ・リンドバーグ)

 この本は、大西洋単独横断飛行に成功したリンドバーグ大佐の夫人、アン・モロウ・リンドバーグが49歳の時に書いた本である。

 アンは、1906年にアメリカで生まれた。国会議員だった父親が、メキシコ大使を務めている時に、4歳上の夫チャールズがメキシコに飛来して出会い、23歳で結婚する。2年後、アンは身重にもかかわらず、チャールズとともに東洋の旅に出かけ、のちにその記録を「翼よ、北に」(02年、みすず書房)にまとめた。

 その本の最終章で、「さよなら」が「そうであるなら」という意味だと知り、「これほど美しい別れの言葉を私は知らない」と書いたのは有名だ。常に死と隣り合わせの危険な旅を、チャールズは彼女に強い、彼女もまた果敢に受けてたった。しかし、アンは、帰国した空港から病院に直行せねばならないほど、危険な状態だった。長男リンディ2世はこうして生まれた。

 ところが、この長男は2歳になる前に誘拐され、殺害された。ドイツ人が逮捕され、4年後の36年に死刑にされた。しかし、ドイツ人の妻は夫の冤罪を訴え続けた。チャールズの死後ではあったが、「誰がリンドバーグの息子を殺したか」(95年、文芸春秋)、「リンドバーグ世紀の犯罪」(96年、朝日新聞社)などが相次ぎ出版され、ドイツ人の冤罪が疑われた。出廷するアンの写真を、前者の本の口絵で初めて見た時、不安げで、とても犯人に対する怒りを露わにしているようにはみえないのが私も気になった。

後者では、リンドバーグこそが実は犯人であり、妻を驚かせようと息子を抱いて2階から縄梯子で下りようとして、誤って息子を落として死なせたという仮説を立てている。そう思わせる挙動が、チャールズにあったのも事実だ。アンは、悲しみを忘れるために、32年に次男を生み、その後も3男、長女、次女と計4人を生んだ。次女のリーヴは、94歳で亡くなるアンの介護と思い出を綴った本「母からの贈り物(03年、青土社)を出している。

次女からみた父親はどんな男だったのか?本の中に次女の18歳の回顧シーンがある。父親の自伝の中に彼が好んで使った「つきぬける」という言葉を見つけて、批判するくだりである。「なんて男っぽいの。なんて男根的なの。しかもそれに気づいてもいない・・」。

男性優位主義は、当時としては当たり前だったのだろう。夫よりも高い教育を受け、知性も優れていたアンを、夫はどう思っていたのだろう?読書会後、メンバーから「彼らは仮面夫婦だった。チャールズにはドイツ人の愛人がいたらしい」との情報が寄せられた。彼は出来すぎた妻に疲れたのだろうか? 

どんな運命も受け止め、立ち向かう

「海からの贈り物」の「日の出貝」の章には、「もう一度二人の純粋な関係を取り戻すにはそれと同じ状況を作り出すこと・・・どこかの宿屋の一晩だけでも二人だけで過ごすというのはなんといいものだろう」とある。これはアンの夫への呼びかけだ。どんな運命や状況に対しても真正面から真摯にそれに立ち向かう。それが彼女の生き方だ。

チャールズは冤罪で疑われ、殺人事件直後にヨーロッパに移住しナチと親しくしたことでも批判された。しかし、それらはすべて葬りさられ、飛行家としての栄光だけが残った。それは、ひとえにアンの健気さのおかげではないかと私は思う。

 「一人になること、それが、自分の軸を取り戻すために必要なことだ」と言い続けていたアン。晩年、認知症気味だった彼女は自分の本を読んでもらって、「一人だと寂しくないの?」と感想を述べたという。彼女はきっとこの本を書くことで「あるべき自分」に近づこうとしていたのだろう。 

 この本を読んで、地位や名誉や富を手に入れた後でも、人間は同じような悩みをもつものだと思った。これは国や時代を超えている。77版という数字がその証拠だ。私は50代前後の女性にこの本を勧めたい。残された時間と能力の中でどう生きるか?それは自分の頭で考え、探していくしかないのだと思う。(M)

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梅が咲いてるよ

 中の道を泉谷小学校から郵便局の方に歩いていく途中の美容室の脇に梅が咲いていました。梅は花が開く時に匂いがします。この梅は少し前に咲いDsc01590たのでしょう。毎年匂いを楽しむ秋の道のピーナッツの置物のあたりの梅も咲いているかもしれません。何年も歩いていると、五感でおゆみ野を楽しめますね。

 いよいよ受験に突入。先週、合格祈願にお参りに行って、借りた10円玉が転がってしまったKさん。気になって、後で100円玉を握りしめて、再度お参りしたと笑って教えてくれました。おかげで、見事私立に合格。よかったね!滑る、落ちる、転がるなんて言葉が妙に気になる季節です。みんながんばろう!

 有吉中の前を通ったら、窓ガラスの部分にべニア板が・・。日曜日には落書きもあったとか。先日、テレビで尾崎豊の映像が流れていてぼんやり見ていたら、歌詞に「夜中に教室のガラスを割って歩いた・・・」というような内容がでてきて、最後に「この支配から卒業」とあった。ガラスを割った人たちもこんな心境だったのだろうか?

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「卒業」     尾崎豊作詞作曲

行儀よくまじめなんてクソくらえと思った

夜の校舎 窓ガラス壊してまわった

逆らい続け あがき続け 早く自由になりたかった

信じられぬ大人との争いの中で

早く自由になりたかった 

許しあい いったい何 解りあえただろう

うんざりしながら それでも過ごした

ひとつだけ解ったこと この支配からの卒業

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フェルメール展で再会したファブリティウスに夢中

彼の名は カレル・ファブリティウス。
『歩哨』という作品を描いています。不思議な絵です。
彼の作品は5点ほど出展されていてどれも印象深いものでした。
20年程前に、オランダのハーグの美術館で初めて彼の作品に触れました。
A4程の小さな作品で、鳥が描いてあり、
とても心打たれました。
でも、忘れかけていたのです。
先のフェルメール展で自画像と、この『歩哨』を観たとき、
一目でハーグの作品が蘇りました。
不思議な体験でした。
でも、作品自体ももっと不思議なものでした。
彼自身についても多くはわからないようで
1654年のデルフトの爆発事故で死んだらしく、
その時、彼の作品の大半も一緒に焼失してしまったらしいのです。
だから現存するものはフェルメール以上に少ない。
私は個人的に、フェルメールやレンブラントに匹敵する才能を
持っていた画家だったと思っています。
若くして死んだのが悔やまれます。
彼に関する文献も少ないのですがイタリア、それもヴェニス派の画家との関連が垣間見られ
フェルメールがイタリア美術の非常に優れた受容者であることを考えると、美術史の上でも大変面白い解釈ができそうです。
「フェルメール展」では、フェルメールよりもファブリティウスにもっと興味をそそられてしまうほどでした。(N.O)

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なぜフェルメールの絵に引きつけられるのか

 歩きながら考える時がある。なぜフェルメールの絵に引きつけられるのだろう?あの陶酔にも似た心地よさは何だろう?何とか言い当てられないものか。頭の中の「デルフトの眺望」やら「牛乳を注ぐ女」を心で観ながらコツコツと言葉を探す。足の方は目的地に到達するけど、心はなかなか着かない。このあてのなさは実は楽しみでもある。

と前置きが長くなったが昨年12月中旬、おゆみ野の仲間達と「フェルメール展」を観に上野を訪れた。長年の探しているあてどころの手がかりも見つかればという思いも携えつつ。

 「フェルメール展」とは銘打っているけど、全40作品中彼の作品は8点のみ。のみとはしかし不適当か。何しろ世に知られる彼の作品は35点だけ。その4分の1が出品されたのだから。ただ愛しのフェルメールに到達するまでがこれまた長い。20分待ってようやく入場できたと思いきや、そこから同時代のデルフトの画家の作品を24枚見せられる。それらも平静に観ることなどもちろん望めない。画家名や題名を表記したラベルを何分も鑑賞させられた後ようやく作品前にたどり着き、そこでも聴覚やら触覚のノイズと格闘しつつ類いまれなる集中力と厚かましさの助けをかりて観るという有様。ま、日本の展覧会ではこれが普通なんだ、とあきらめつつも階段上がってフェルメールの光が視野に飛び込んでくるころには、実はかなり疲労しているんです。(ただし今回の疲労には特別な嬉しい理由があったのです。私、ある一枚の絵と衝撃的に出会い今その作品とその画家に夢中です。)

 でも同時代デルフトで活躍した画家達、デ・ホーホやファブリティウス、デ・ヴィッテやフォスマールの、それもヨーロッパの常設ではじっくりとは観ないだろう作品をまとめて系統づけつつ観られることは貴重な体験。またこれらの作品群の後でフェルメールと出会うと、それらとの共通点もよくわかるし、何よりもフェルメールの表現の秀麗さを改めて認識することとなった。

そこには際だった光と色があった。色は対象との関係で様々に変化する。同じ波長でも空の青、水面の青、洋服の青、瞳の青、それぞれの現れ方は全く違う。質感を伴う色、とでも言えばいいのか。そのいわば「質感色」もまた光に強弱によってさらに変化する。絵と描く時、その「質感色」一つ一つをパッチのように切り取り観察する作業を強いられる。そういった細部を忠実に描き集めていくのがオランダ絵画の魅力であり伝統でもあるけど、逆に細部を描き過ぎてしまうことによってかえって現実性、自然性から離れていってしまう面もある。15,6世紀の宗教画では、この現実からの乖離はむしろ崇高なる神聖を表すために好都合だったろう。しかし世俗画ではかえって稚拙さ、ミニチュア化として表れてくることがある。デ・ホーホの作品ではその感が否めないものがいくつかあった。チェスの駒か、ドールハウスの中のような奇妙な感覚。お伽の国に来たような。

このミニチュア化を克服するには、画面全体を絡め取っていく文法が必要であり、その一つが遠近法。大きさであれば透視図法。光では空気遠近法。そして透視図法ならどこに視点を固定するのか、空気遠近ならどの光を用いるのかを、場面場面で効果的に用いなくてはならない。フェルメールの作品では視点は低く、床の線を画面の下に止めることで(小津の映画のようかな)観察者に等身大の空間印象を与え、また光源は窓外の外光に限定し、それを画面の奥に反射させ観察者側には闇を配置することで室内全体の空間の厚みや光の効果を表現している。反対に画面前面に主要モチーフを配置したいときには、色の効果を最大限に用いて進出色(赤、オレンジ)を用い、背景に後退色(青)を配置する。この色の効果は『ワイングラスを持つ娘』で端的に表れている。色が鮮やかで本当に目を見張ってしまいました。係の人から早く前に進めと怒られました。

しかし文法はあくまで文法。これを効果的に活用することに加えて、いかにモチーフや筆致を選び抜いていくかという大いなる取捨選択にフェルメールは秀でている。これについては彼の初期の作品にヒントがある。特に『ディアナとニンフ達』の構図や色はルネッサンス期のイタリア、それもラファエロを連想させるような透明感とやわらかさがある。空間処理では整合性に欠ける部分もあるが、イタリア美術の影響をかなり受けていたこと、それが後の画面の統一感に繋がったことを伺わせた。

また光を空間表現や場面表現に効果的に用いることは17世紀以降のバロック芸術の特徴だが、イタリアのバロック絵画が劇的で時には仰々しい表現に走りがちなのに比べて、フェルメールの光の表現は劇場的ではあるけど決して大げさでなく我々の経験値から逸脱しないのは、世俗画というジャンルにも依るだろうが、視点を低く設定しているという画面構成上の効果もあるこということは新しい発見だった。

ということで、モチーフの図像学的解釈やテーマはさておいて表現様式だけについて一部書いたが、最初の「あて」の話に戻そうか。フェルメールの魅力を語るための何か新しい手がかりは?と聞かれると残念ながら特になかった。ただ、ひとつ整理できたことがあり、それは彼の作品が相対する矛盾を抱えているということ。透明だが鈍く輝く光、日常的だが謎めいた視線、自然だけど計算され尽くした表現、落ち着いているけど実はかなり鮮やかな色遣い。それはヨーロッパの北方美術とイタリア美術の最高のかたちでの融合といえるかもしれない。

「奇跡」なんてあまりの常套句で無礼を感じてしまう。17世紀前半期50年。デルフトが歴史のなかで瞬間的に繁栄したまさにその時、フェルメールはそこにいた。そして絵を描いていた。都市が人を創り、人は芸術を生んだ。この循環の宿命と、その流れの飽和からぷっと吐き出された一粒の真珠。それも何という美しい一粒。彼の絵の中に描かれた真珠そのもののよう。その一粒にただただ感謝するばかり。(N.O)

P.S.今夢中になっているものは、次回に。

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初詣ウォーキング

学校が始まった今日、新年初めてのウォーキングに行ってきました。受験生の母も多く、ミスマの先の八幡様にお参りしました。あまりに話に夢中になり、写真を撮るのを忘れたのですが、帰りに一人で泉谷中の前を通りがかった時、年末の30日に割られた窓ガラスをふさぐべニア板が痛々しいさまをみて写真を撮りました。全国向けのテレビで割られたガラスは64枚と報道されていましたが、本当は99枚という話も聞きました。この前の落書きといい、ガラス割りといい、手を下した人には何か負のエネルギーが鬱積しているのでしょう。それは何なのかを知らない限り、解決しないように思います。Dsc01587

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初詣のちょっと楽しい話

今年の年末年始は、千葉県長柄郡のエアロビクスセンターで過ごしました。おゆみ野から30分。便利で渋滞もなく、受験生を抱えている我が家にはぴったりでした。ただ、夜、朝、夜、朝と4回もバイキングが続くとさすがに胃が疲れてしまいました。日中はエアロビクスセンター内にあるターザニアという木の上をハーネスをつけてターザンのように移動するアミューズメント・パークに行きました。初詣は車で15分ほどの橘樹神社にお参りしました。受験生の娘が願を書いた絵馬をかけようとして隣をみると、「世界平和と  俺のちょっとした夢」という絵馬があって思わず家族で笑いました。娘もこういう男と結婚すると楽しいだろうなと勝手に想像しました。おそらく今の日本に足りないのはユーモアのセンスではないでしょうか。

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年の瀬に・・

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仕事納めの夫に受験生の娘を託して、両親の待つ実家に長男を連れ3泊してきました。
その間ずっと富士山がきれいに見えていましたので、思わずカシャッ!
たまには、食べ物以外のものも撮るのです(笑)
「お客さんで行くのではないから」と、長男に言ってあったので、彼は夕方着いた早々掃除機と格闘し、風呂洗いを済ませました。
夕食は、ロールキャベツ。来る日の朝、おゆみ野の家族の分と一緒に作りました。
食事を作っても、片付けをしても、買い物をしても、何をしても母の「ありがとう」が聞けて、おゆみ野の家とは大違いでやさしくなれます。
そうそう、母が気にしていた障子を、人生で初めて張替えました。やれば、何とか出来るものですねぇ。
最近は外食を好まなくなった父に、アサリのお味噌汁がとっても美味しいのと誘って、初めてお寿司やさんに4人で行くのに成功しました。
年齢がいって弱くなった両親をみていると、長生きするということはどういうことか、教えてもらっている気がします。
安心して年をとれる生活、社会であってほしいなと切に思いました。
                 皆さま、1年間お世話になりました。
          新しい年の皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。
                  良いお年をお迎えくださいませ♪

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