来週の打ち上げはLe Bleuで

Dsc01131_8  おゆみ野駅前のペデストリアンデッキを越えておゆみ野南に向かって2,3分歩いたところに、Le Bleu(043-376-0444)がある。おしゃれな住宅のようなレストランだ。

このところ、おゆみ野にはちいさなレストランが出店したり閉店したりである。しばらくこないうちにバザール通りには、ケーキ屋さんができ、お好み焼き屋さんの代わりに「魚仙」という店が出ていた。村の市場のあとはまだがらんとしていて、何も入る気配がない。ミスマのラーメン屋は撤退して新しい店がはいるらしい。ジャスコの前のトレビアンを通るたびに客が少ないといつまでもつのだろうかと心配だ。まだまだ景気は回復していないと実感する。

おゆみ野ウォーカーにもグルメのメンバーが多いので、「あそこのラーメン屋は脂こくってだめ」とか、あそこは2度行く気がしないとか結構厳しい。

Le Blueはどうだろうか?楽しみである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

松本清張は怒っているだろう・・ゼロの焦点

25年以上も前に見た「ゼロの焦点」は、今でもその怖さを覚えている。主人公の夫が突き落とされた絶壁とそこからのぞきこんだ荒波のたつ岩だらけの海岸。野村芳太郎監督は白黒の映像で清張の世界をぴったり描き出していた。

ところが、だ!!2週間ほど前にユニモで見た「ゼロの焦点」は許せない。「広末涼子以外の俳優はよかった。その青っちい演技は役柄仕方のないのかも」とかいう映画評を読んで、広末涼子にはまったく期待していなかった。「おくりびと」以来彼女には期待していないのでそれは仕方ないと。

しかし、脚本があまりに稚拙なので、県立中央図書館で清張の原作をあたってみた。やはり、許せないほど改ざんされていた。

犯人は女子大をでたけれど、戦争で両親を失い、弟を養うためにパンパンになり、アメリカ人将校のオンリーになり、流れてある会社社長の秘書になり、社長の妻が亡くなってから社長夫人になった。女性の地位向上を目指して政治活動しているというのが、事件当時の背景だ。

そこにパンパン時代に見たことのある元警官で、保険の営業をしている男が現れる。男は、自分が社長夫人をかつてパンパンとして検挙したことがあることに気づいていない。にも拘わらず、犯人の社長夫人は、猜疑心からその男を殺してしまうところから、どんどん殺人事件が起きていくのである。

改ざんの1つは、犯人の夫である会社社長の扱いである。原作では温厚な紳士だ。妻がもとパンパンであろうともそれを許す度量もある男である。ところが、今度の映画では、成り上がりでアクが強く、従業員を紙くずのように扱う男にされている。必然性がない。

2つめは、原作にはないのに犯人の弟を登場させている。まったく必要のない人物だ。画家で、飲んだくれてて、姉である犯人の肖像画を描いている。その絵が、映画のラストシーンで、銀座の画廊に飾られ、彼女がその後の日本をみつめているというストーリーになっている。人を殺しておいて、女性運動もないだろう。

小説の最後のシーンは、犯人の女が男を突き落とした海岸から小船で沖へ沖へと漕いでいくところである。夫である社長と、夫を殺された主人公が、それを見送っている。社長は「さっきあれに手を振ったんですよ。そうしたら彼女も手を振り返してくれました。そのうちあの小船は荒波で乗り手を失うでしょう」といって小船をいつまでもみつめているのである。彼女の過去を知ってもなお彼女を愛していることを犯人が知っていいれば、こんな殺人事件は起きなかっただろうというのが、人生のアイロニーとして描かれているのだと思う。

新しい映画では、確かに小船は出てくるが、唐突に小舟が映し出され、「1週間後にアメリカのタンカーによって、小船が発見されました」とテロップが流されるだけだ。犯人の夫である社長は拳銃で自殺し、彼女の罪をかぶろうとする。愛しているという証なのかもしれないが、まったくわけがわからない。清張の遺族はこれで怒らないのだろうかと疑問をもった。日本の映画の質はかなり落ちているのではないだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (2)

モ・ミ・ジの色が!!

Dsc01114_2    今日は8人でおゆみDsc01107_2Dsc01109_2野の紅葉を楽しみました。

1本の紅葉の木に緑と紅と黄色があるのはなぜなの?アジサイみたいに土の酸性とアルカリ性の違いがあるのかしら。光のあたる量なんじゃない。などと言いながら楽しく歩きました。

春の長雨は「菜種梅雨」。先月のような長雨は「山茶花梅雨」っていうんだよ、と教えてくれたのはKさんです。

子供が幼稚園や小学校のころから知り合って、もう10年以上。子供たちももう中学や高校、大学生になりました。年をとることの意味を身体でも心でも感じるようになりました。年をとって眼が見えなくなってはじめて見えてくるものがある、とある作家が言っていました。自然の色の不思議さもそのひとつかもしれません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

木連に冬芽がいっぱい

Dsc01084_2異常気象かと思ったのだが、我が家の木連に冬芽がたくさんついた。去年までは1個か2個だったのにそれだけ木が成長したということだろう。「冬芽は今ごろつくんだよ。小学校の教科書に載ってるよ」と仲間に教えられてびっくり。そんなことも知らなかったんだなぁと反省した。

大好きだった数学で、三角関数や微積分が得意だったけど、あれってなんか役にたってるかなと思うとあやしい。そもそも学校で何習ったっけとまで思ってしまった。

娘の一人は、生物が大好きだ。それはひとえに先生による。今年定年を迎えるその先生に会えただけでも彼女は高校に行ってよかったと思う。

 たとえば、定期試験に鳥の鳴き声が出題される。ハシフトガラスとハシボソガラスはくちばしの形が微妙に違う。それに鳴き声が「カァーカァー」と鳴くのはハシボソで「ガァーガァー」と耳触りに鳴くのはハシブトだという。それを聞いてから、外でカラスを見るのが楽しくなった。今のはヒバリだねとか、今のはヒヨドリだねなんてわかったら単純に楽しい。

ひるがえって、自分に忘れられない学校の先生なんていたかなと思うと、これまたあやしい。私が一番影響を受けたのは中学1年生で出会った、6歳上の家庭教師のお兄ちゃんだと思う。姉のために来ていたのだが、ついでに机の端に座らせてもらっていた。アラン・ドロンに似ていて、初めて会った時はフレッシュな大学1年生。アラン・ドロンの写真集の中で、一番お兄ちゃんの顔が似ていたのは、困ったことにドロンのセックスシーン。中学生の私としては刺激的すぎた。大好きだったけど、会うと「先生」と言わなければならず、垣根を越えることなく淡い初恋になった。

世の中に先生と生徒が結婚しているが、あれは犯罪ではないだろうか、などと思う。どうやって越えたのか今度友人に聞いてみようっと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の道のトンネルに壁画が!

091013_10310001_2 091013_10300001 091013_10290001 091013_10290002

今日のウォ-キングは、子ども達が秋休み最終日ということもあり、参加者は私とYさんの二人でした。

久しぶりの参加のYさんとは話が弾み、あっと言う間に遊歩道を1周してしまいました。

木々が紅葉している中、お天気も良く、思いっきりおしゃべりができて爽快でしたよ。

写真は、携帯の写真なので画像が悪いのですが、春の道のトンネルに有吉中学校の美術部の生徒達による壁画が描かれていました。通る人の気持ちが明るくなる春夏秋冬の和やかな絵です。これで落書きしようなどという輩も出てこないでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

大スズメバチの捕獲

うちの山茶花は毎年近隣よりも早くに花を咲かせるせいか、毎年大スズメバチが蜜を吸いに来る。しかも2本ある山茶花の内、門扉から玄関までのアプローチに一番近い端の1本だけが花を付けるので、大スズメバチはいつもその木の周りを飛んでいる。という訳で、ここ何年もこの時期は毎日危険を感じながら家の出入りをしていた。さらに今年は一月ほど前、スズメバチの1種と思われるハチが庭で巣作りを始め、幸い発見が早かったので簡単に除去でき、大スズメバチの到来を前に1つでも危険を排除できたことを喜んでいた。うちの何が蜂を呼ぶのやら。で、恒例の大スズメバチである。今年も人間が山茶花の蕾に気付く前にちゃんと彼らはやって来た。スリリングな毎日の始まりだった。が・・・

先日テレビで達人を紹介する番組で「蜂の巣退治の達人」のやり方を見た娘が、「ちょっとやってみる。」と言って作った簡単な仕掛けが驚くほど効果があった。例年の観察により彼らは毎日1~2匹でうちの山茶花にやって来る様だと思ってはいたが、この仕掛けに毎日2匹ずつかかったことでそれが正しかったことが判明した。

その仕掛けとは、091010_15010001 ペットボトルに砂糖水とお酒を入れて木にぶら下げるだけ、という誰でもできる超簡単なものだ。

娘が作った酒入り砂糖水のレシピを紹介しよう。

用意するもの

・500mlのペットボトルとペットボトルを吊るす紐

・水150ml程度

・ガムシロップ4コ

・料理用酒 大スプーン3(ボトル口付近で匂いがする位)

写真は4日目、7匹が液体に溺れ1匹が外に出ようと頑張っているところだ。一度入ってしまうと飛んで出ようと羽を広げるとペットボトルの口が狭すぎて出られないのは見ての通り、またペットボトルの側面は滑って止まっていることができないらしく疲れると重力の赴くままに液体へと、という仕組みになっている。

しかし1日目に2匹の大スズメバチが帰って来なかった巣では、翌日に次の兵隊をまた同じ方向に送り出し、その翌日もまた、その翌日もまたと繰り返すことに妙に感心し、ペットボトルに仲間が入って出られなくなっているのに生きていくための糧を求めてまた次の蜂もそして次の蜂も入って行くことに蜂の本能を動物の本能をそして人間の本能を考えた4日間でした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

おゆみ野のある朝の光景

シルバーウィークも後半に入った。朝7時半ごろ、自転車でおゆみ野を回った。もう活動的な人たちは、トレーニングウエアに身を固め、それぞれの目的地に向かって歩みだしていた。赤や白の彼岸花が道端に咲き、虫がチロチロと鳴いて、おゆみ野はすっかり秋である。青や白のジャージを着てラケットやスポーツバックを肩にかけ中学生たちが、学校に向かう姿をみて、去年までの娘を思い出した。おゆみ野道の東屋では、高校生くらいの若い男女?が3人、一人は携帯をいじり、残りの二人は寝ていた。もしかしたら昨夜からいるのかもしれない。風邪を引かなければよいがと思いつつ、中の道を右に折れた。

そこに、黒と白のシャツをきたこれまた中学生くらいの若者2人が自転車で、なにやら歌謡曲を歌いながら自転車をこいでやってきた。すがすがしい朝の空気をすっていい気分なのだろう。ところが、部活に向かう中学生とすれ違って、その中学生がへんな顔をしてその子たちを振り返った。・・・と思ったら、前を走る白シャツの彼がいきなり方向転換して「なんだよ!あいつ」といいながら戻っていった。キレやすそうな感じの子だった。連れの黒シャツは、ハリポタでいえばマルホイの付添のグラップ?のようなぽっちゃりした子で、仕方ないなという感じで付き合っていた。

気になったが、ついていくのも変なので、しばらくして戻ってみたら、二人組は引きあげるところだった。中学生はもはやいなかった。大騒ぎになっていなくてよかったと胸をなでおろした。

そうして自宅の近くまで帰ってきた時、女の子のすごい泣き声が聞こえてきた。うちもよくあることなので、こんなに聞こえるものかと驚いた。その泣き声を隣の家のご主人が2階で、じっと聞いていたのにも驚いた。ただ、ぼうっとしていただけかもしれないが・・。おとなしくてごあいさつもきちんとするその娘さんがなぜ抵抗してわめいていたのか、わかるような気もする。おかあさんはさぞかし困っていることもわかる。「はやり風邪のようなものよ」と向いのおばさんは言う。「どこのうちにもあるのよ」と。

歳を重ねることには意味がある。ひとの心の痛みを知ることができるから。今日もおゆみ野ではそこここでドラマが展開してると思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

秋ですね

夏休みが明けて2回目のウォーキングは、6人が集まりスタートしました。

おゆみの道から春の道、夏の道から秋の道を通り、なかの道に帰ってきました。

秋の道には、萩や紫式部がもう見頃を迎えていましたよ。

中の道には、白い彼岸花が咲いていました。

秋を感じながらも、「最近、スカート男子っていうスカートを穿く男の子達や女性物を着こなす男の子達がいるらしいよ。」「余程かっこいい男の子じゃないと耐えられないよね。」「自分の息子がやると反対するかな。」などとおばさん達の会話が弾みました。090908_10480001_2 090908_11480002

| | コメント (3) | トラックバック (0)

富士頂上はまだまだ遠い

 山行計画という言葉を知ったのは、2度目の登山の2日前だった。なるほどと、私たちは5合目に4時に着くことを考えた。なぜなら、前回アトピーの娘が強い日差しにやられて歩けなくなったからである。予定では日の出前に7合目を越え、12時には山頂に立つ予定であった。

 ところが、お盆期間中のマイカー規制をすっかり忘れていた。5合目まで行くには1合目の下の駐車場からバスに乗る必要があった。しかも朝6時からしか出ていない。なら仕方がない。前日の夜11時半着の最終バスで5合目まで行こうということになった。夕方から仮眠しようとしたが、うまくいかない。私たち夫婦と11歳になったばかりの娘は、夜10時のバスに乗り、11時には5合目に着いた。バスにお仲間が結構いたので、みんなで登れば怖くないくらいに思っていた。

 しかし、5合目は無情にも雨が降っていた。かっぱは持ってきた。それにすぐに止むだろうと思った。バス停から数分歩くと暑くなってきた。それで再び戻って下のフリースを脱いでカッパを着た。まさか、その後、寒さに震えるとは思いもよらなかったが。

 5合目を出発した。雨は一向に止まない。真っ暗闇の中を、3人でとぼとぼとと歩きだした。時々雨が小止みになって希望を持った。しかし、またザーと降ってきては、横殴り風が吹いた。「まったく、子連れの素人で雨の中、徹夜登山なんてありえないのでは」という思いがよぎった。リュックはカッパの外だから濡れ放題。ヘッドライトだけが頼りなのに、娘の光が妙に弱い。新しい電池を入れたばっかりのはずなのに。こんなに早く消耗するなら、そのうち真っ暗闇になってしまう。そこで私のヘッドライトだけを使って登ることにした。こういう時は男が先頭に立つものではないだろうかという疑問がわいた。しかし、夫は焦らずゆっくり登ろうという。ゆっくり登れば登るほど、雨に濡れるのに。もっとも、上に行ったからと言って休む場所があるわけでもないのだが。

 6合目はなんとか超えた。お次は例の7合目までのつづら折りだ。下からく来る二人連れについてなんとか行こうと考えたが、連れの二人の体力は全然追いつかず、また3人だけになった。本来、胸突き八丁とかいう8合目あたりでハアハアするならわかるが、まだ7合目の前なのである。時々下山する人に出会った。「いいなあ!登頂して下山する時に雨にあたってもいいけど」と思っていたが、後で考えると、みんな諦めて下山するところだったと思う。

 6合目と7合目の半分もいっただろうか、雨がまたひどくなってきた。デジカメで写真を撮ろうとしても電源が入らない。カッパのポケットに雨が溜まって機能しなくなっていた。私は娘に「もう無理じゃない?」と聞いた。「わからない」(娘)「もう引き返した方がいいんじゃない?」(私)「もうちょっと行けばなんとかなるかも」(夫)を数回繰り返して、「やっぱり帰ろうよ」と私が言った。

 富士登山で一番重要なのは天気だということを体で学んだ。この先何回学べば頂上に行けるのだろうか。

 下山となると、どうしたことだろう。連れの二人の足がさっさと動くではないか。娘など私たちより早く下りていくのだ。雨だと下りるのも大変なのに。石ころで足が滑りそうになるのだ。6合目の安全センターのところに屋根があるので、そこに入って休んでいると、次々と人が下りてきた。「こんな雨は富士山ではめずらしく、ガイドが7合目より上のツアーを全部キャンセルした」と言っていた。確かに台風が来ていたのだ。

 下山を決めたのが1時過ぎ。5合目に着いたのが2時10分。翌朝のバスが6時だから4時間。こうしてぬれ鼠のまま土産物屋の軒下で待つのかと思うとぞっとした。軒下はもう人であふれていたが、寒さはどんどん増してきた。おまけに蛾だかなんだか虫が寄ってきて、娘は立ったまま寝ようともしない。往復のバス切符は無駄になるけど、子どもが風邪でもひいたら大変と、3時ごろ、上ってきたタクシーを捕まえ、1万2千円を払い、駐車場まで下りてきた。スバルラインは真っ暗闇で何の意味もなかった。

 そのまま、自分の車に乗り込み富士桜の姉の別荘に行って、お風呂に入ってベッドに入った。それが4時ごろだったから、後2時間、軒下の人たちはまだバスを待っているんだろうなと申し訳ない気になった。

 今回学んだこと。マイカー規制の時は登らない。雨の日も登らない。夜も登らない。もっと低い山で訓練してから登る。

 だが、いつか必ず登ってみたい。富士山の頂上に。今度は体力のある上の娘たちと一緒に一家で登りたい。Dsc01800

出発前の無邪気な3人

| | コメント (2) | トラックバック (0)

蝉しぐれと富士山

 朝5時過ぎに、いきなり蝉がいっせいに鳴き出した。蝉しぐれとはこのことか。このところ蝉が空から降ってくる。土の中に10年近くいるという蝉が、1週間ほど鳴いて死ぬのが例年より早い気がするのだがどうだろうか?玄関のアプローチを歩いていたら、蝉が転がり落ちてきた。踏まれてないように、庭の植え込みのところに戻してやったら、いやいやをするようにまた仰向けに転がった。こっちの方が楽なのかななどと思いながらも、「がんばれ」とうつ伏せにしてやった。すると、彼は前あしでぐっと頭を持ち上げて、顔の端についた二つのごまつぶみたいな眼でじっと私を見た。きっとこの世で最後に会う人間はわたしだろうと思っているようだった。そうしてそのとおりになった。風に吹かれてアプローチに落ちた格好は仰向けだった。やっぱりそっちの方が楽だったのかなとちょっと気になった。

 明日富士山に再挑戦するつもりだ。蝉のように風に吹き飛ばされないようにしようと思う。入院中の娘の回復祈願の意味もある。今年神社の初詣に行った時、ぶらさげられた祈願の中で秀逸なのがあった。

世界平和と俺のちっちゃな夢」というものだ。こんな時代だからこそユーモアがほしいと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

«富士山の7合目まで行ってみた!