半夏生が満開
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Y邸を訪れた蛇くんだが、いったいどこからきたのだろうか?その疑問が頭から離れない。
もし、泉谷公園からだとすると、我が家の前も通った可能性もある。(うゎ!)日枝神社からだとしても、アスファルトの道路をせっせと這ってこなければならない。しかも、そこにツバメの卵あるいは雛がいるとどうしてわかったのだろう?考えれば考えるほど不思議だ。ツバメの鳴き声か、匂いを嗅ぎつけたのか、あるいは蛇の視力が優れているのだろうか?夏休みの課題にしたいくらいだ。
ところで、Yさんのご主人は何の躊躇もなく、手袋で蛇を捕獲されていたが、凄すぎる。ちなみに、うちの主人に「あなたならどうする?」ときいたら、「無理無理!!」と最初からお手上げだ。Yさんのご主人は知り合いからスズメバチの駆除を依頼されることもあるという。うなづける。うちでも何かあったら即頼もうと思った。
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先日、知り合いのKさんからこんなお話を伺った。
『先ほど犬の散歩をしておりましたら、遊歩道脇の小川を一匹の
アオダイショウが悠々と流れておりました。体長2mほどの立派
なやつでした。「こんなのがいるようなら、この辺の自然もまだ
大丈夫だわい」と思ったしだい。泉谷公園には、ヒバカリという
小さなヘビもいます。』と。
そういえば、以前我が家にもアオダイショウがやって来たことを思い出した。
一昨年の6月~8月のことだった。
我が家の玄関の軒下にツバメが巣作りをし、雛が産まれた。
そんなある日次男が、「アオダイショウが玄関のアプローチにいて、入りにくかった。」と言って帰って来た。できれば蛇などに会いたくない私は、その時は見に行かなかったし、その後も空中に視線をおきながら素早く通過するよう努力した。
しかし、翌朝主人が出勤しようと玄関ドアを開けると、やはりいた。彼は、そこにある中で一番高さのある植木鉢の木から軒を支える柱に移動しようとする形で静止していた。彼が上りたいその柱にはツルツルの薄い石が表面に貼ってあってどうもそれ以上は上れないという様子だった。上りたいが上れない、しかし諦めないその彼の狙いがツバメの雛であることは明らかだった。
彼がそんな状態にあったので、捕まえるのが比較的簡単だったようだが、主人が捕獲成功。
ファスナー付きの布のバッグに入れてくれたは良いのだが、会社の時間があるので私が泉谷公園に送ってあげることに。
デジカメを子どもに構えさせていざファスナーを。
ファスナーに手を掛けた途端に布から棒状の物が突きあがってくるのがわかり、5ミリ開けたかどうかというところで彼が顔を出し、堪りかねた私はバッグを放り投げてしまった。もはや彼のスピードに私の動体視力がついていけず、かろうじて彼の尻尾が草の中へと消えていくことを確認できた。
子ども達もその間棒立ち状態だった。
デジカメが無駄な持ち物であったことは言うまでもない。
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庭で草むしりをしていたら、芋虫?が歩いていた。ぎょぇと思ったが、一生懸命歩いているのでじゃまをしないように見ていた。すると、彼は背の高い草をわけながら進むのかと思いきや、わざわざ背の高いひょろひょろの雑草を登り、同じく背の高い雑草に乗り移ろうとして一時ブランコ状態になった。それを何度も繰り返した。私はとても不思議に思った。なぜなら、彼らは、アリのようにいつも食べるためだけに働いているのかと思っていたのに、これは明らかに遊びのように思えたからだ。こんな小さな生き物でも、楽しみながら運動してるのかなと妙に感動した。どこに行くのか知りたかったが、電話で呼び出されているうちに姿を消した。
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読書会にレジメをつくってきましょうという人がいて、今度の「村上春樹」こそはつくっていこうと思っていたのに用意できなかった。書き始めると何時間もかかってしまうからだ。
読書会のテーマは村上春樹の「蛍」だったが、私は「海辺のカフカ」に興味を覚えた。サスペンス仕立てで一気に読ませる手法はすごいと思うが、いつも読後に埋められない空虚な余韻が残る。それはなぜかと思い、内田樹という人の「村上春樹にご用心」を読んだ。その中に、「小説は意味を問うのではなく関係性こそが重要だ、と村上が言っている」と書かれていた。
このせいだと納得した。「蛍」では、主人公の彼女の元の彼が自殺するが、ついぞ、その理由は不明のままだ。「海辺のカフカ」でいえば、そもそもの始まりである「なぜ4歳の息子を置いてお姉さんだけ連れてお母さんは出て行ったのか?」の納得のいく説明はないが、事態はいろいろに展開する。お父さんは息子に殺されることを望み、代わりに近所の精神障害の男に殺される。息子はいなくなったお母さんを探し、絵に描かれた15歳の母に恋しセックスを夢想する。その後、実際にも交わり、さらに想像上だが姉とも交わる。そこらじゅうにメタファーがちりばめられ、精神医学上では意味のある出来事が起こっているようだ。なぜ、こんなことになったのかと、息をこらして最後まで読み進んでも、結局、事のはじまりはわからないままだ。
村上春樹が、文壇で孤立しているとは知らなかった。批評家たちや本をよく読む人たちからも敬遠されているようだ。それはかれの小説が、土地の固有性をもたないからだという説がある。固有性を持たないのに世界性がある、つまりどの国の人たちからも読まれているのが玄人から嫌われている理由らしい。
私は彼が世界性をもっているのは、あるいは一般大衆に受けるのは、小説の意味をかかないからだと思う。それを書くことが小説のリアリティには欠かせないが、それを書いてしまうと、読者が限定されるからだと思う。そこは自分の例にあてはめてくださいってことなのかな。ちなみに、内田さんによると、村上春樹の世界性は「父性の不在」(だったけ?)を描いているからだという。冬ソナとハルキスト(春樹スト)が重なるのもそのせいではないかと主張している。あんまり解読されると疲れてくるのでテキトーに。
内田氏曰く、「すべての評論は読ませるようにかくべきだ」。たとえつまらないと思っても。一番だめな評論は、あらすじをかいてしまって感想を述べるタイプといっていたので、以後気をつけようと思う。
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カルガモが7羽の赤ちゃんを連れて泳いでいるという話を聞いて、いそいで泉谷公園に行きました。残念ながら、その姿を見つけることはできませんでした。ちょうどホタル生態園の木村さんがいらして、昨年もカルガモが赤ちゃんを産んだけれども、フトバシガラスにまるごと食われてしまったらしいとのことでした。昨日までいたというカルガモのツガイと7羽の赤ちゃんを探したけれど、みつかりませんでした。カラスを避けて身を隠しているのかもしれません。Nさんが写真を撮っているので後で紹介します。
菖蒲は盛花を過ぎつつありますが、遠目にはとてもきれいです。先週の花をSさんが撮ってくれたので紹介します。
泉谷公園ではゲンジボタルが有名ですが、木村さんは、ヘイケボタルの池をつくりました。
ホタル三昧の公園にしたいようです。そろそろホタルの羽化の時期です。今年は何匹かえるでしょうか?
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昔、イスのところがザルの形をしたブランコがあったので、我が家では大百池公園のことを”ザル公園”と呼んでいた。久しぶりに訪れたところ、Hさんが「あっ!アンパンマンだ!!」と叫んだ。そこで着ぐるみショーでもあるのかと思いきや、芝生にアンパンマンが!わかる人しかわからない。作者を探したが見当たらなかった。
今日は、泉谷公園の菖蒲もチェックにいったが、まだつぼみだった。ホタルがもうすぐ舞うので、公園の照明を落とすという張り紙があった。初夏はもうすぐそこまできている。今日も汗ばむ陽気だった。
一緒に歩いたOさんはもうすぐ70歳。最近、市から節目検診の案内が送られてきた。ところが、それをみてがく然としたという。それは、30歳,40歳,50歳,60歳ときて70歳で打ち切りだったからだ。「もうあとはないと知らされた気分。でも毎日を充実させて生きようと思う」と話す。
季節がどんどん先に行って、若い時のように体も心もなかなかついていかない。でも、季節に負けないで今日もみんなで2時間近く歩いた。
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5月になると、各家の庭にバラが咲き始める。一度はのめりこみたい世界だが、まだバラを育てる心の余裕がない。それで、歩きながら、達人のバラを堪能する。
バラというと、いつもサン=テグジュペリの「星の王子さま」を思い出す。王子さまが自分の星に残してきたバラのことだ。旅で出会ったキツネから、王子さまの残してきたバラは、この世にたったひとつしかないバラだ、と教えられる。キツネの別れ際の言葉はこうである。「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目にみえないんだよ」。
今年1月、私より2つ年下の友人が亡くなった。喉頭がんだった。手術を受ける前の日、声を失うことがわかっていた彼は10歳になる息子に「星の王子さま」を読み聞かせた。そして、それをビデオに撮ったという。この本の意味を理解して私が泣いたのは、もう40歳近くなってからだと思う。彼の遺志が息子に届くことを祈る。
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